沿革・挨拶

挨拶

想いをカタチに、夢に近づく。

校長 福冨 美代子

~創立86年目をむかえて~

ファッションの世界は、優れた感性さえあれば成功できるというわけではありません。これはファッションの仕事が、目に見えない想いを実際にカタチにかえる力が試される分野だからです。

神戸ファッション専門学校では、学生が自分の考えを表現したり、学年を越えてプロジェクトを企画したりする機会を、基礎教育の中に多く取り入れています。こうしたカリキュラムを履修する中で、学生たち自身の感性を生かせる、優れた創造力や技術を身につけます。

想いは一人一人ちがいます。その人にしかできない仕事があり、その人しか持っていない才能や可能性があります。本校ではそんなそれぞれの想いを、対話を重視しながら支援することで、「ここでなら見つかる気がした」「ここでなら成長できる気がした」という学生の気持ちに応えます。その結果として「目指してきた、あるいは夢としか考えていなかった仕事につけること。」を実現しています。

「ファッションの仕事をしたい」という想いから「私のファッションで人々を輝かせたい」という想いへと自然に発展させていく。そして、人を輝かせるためには自らがどのような人であるべきかを考える。

卒業してもあらゆる場面をつかまえて学び続け、社会を支える志を持ちながら人に優しいという卒業生の評価は、本校の教育理念の成果であり、そのような学生を送り出すことが、本校の社会的な使命であると考えます。

沿革

神戸の街に初めて洋裁学校、神戸ドレスメーカー女学院(旧校名)が誕生したのは1937年3月。明治の開港以来いち早く西洋の文化に影響を受けた兵庫県神戸市の服飾専門学校としての出発でした。日本に洋装が急速に定着した第二次世界大戦後は、パリのオートクチュール、アメリカのファッション産業と次々に進展する時代の要求に沿って最新技術の研究と導入をはかり、1960年代には日本の既製服産業で働くプロを養成するファッションスクールへと教育内容も変化しました。以来、本校は数多くの卒業生をファッション産業界へ送り出しています。

1988年4月には創立50周年を記念して建設された新校舎が完成し、校名も新たに「神戸ファッション専門学校」として出発し、関西に位置する神戸・三ノ宮のファッション専門学校として、とどまることなく変化と前進を続けています。

学校法人福冨学園の歩み

昭和12年3月10日
兵庫県神戸市葺合区(現中央区)布引町1丁目に神戸ドレスメーカー女学院創立。
昭和16年12月
水害後の神戸市復興計画により立ち退きとなり、生田区(現中央区)中山手2丁目に移転。
昭和20年6月
戦災により校舎消失。
昭和21年7月
神戸市垂水区西垂水町天の下にて学校再開。
昭和23年6月
関西劇場において初めてのファッションショー開催。
昭和25年3月
神戸市生田区(現中央区)加納町に神戸校舎落成。
昭和33年8月
第一回兵庫県高等学校家庭科教員洋裁講習会開催。以後毎年開催して現在に至る。
昭和34年
日本服飾業界の動きに先駆けて立体裁断科設置のためパリのモデリスト、マダム・ソーゼの一家を招聘。2年に渡り教員、学生ともに指導を受ける。昭和35年3月垂水校舎閉鎖、神戸校舎に合併。
昭和37年7月
福冨芳美前校長がオートクチュール技術研究のためクリスチャン・ディオール社(パリ)に招かれる。
昭和45年11月
神戸ドレメ主催第一回ヨーロッパ研修旅行。以後毎年実施、現在に至る。
昭和60年5月
中国服装総公司の招聘により学園長と前校長が中国訪間。5月4目北京にて講演会及びファッションショー開催。
昭和63年4月
同記念事業として神戸ドレスメーカーの新校舎を神戸市中央区国香通に建設移転。同時に神戸ファッション専門学校に名称変更。
平成10年
サンディカ・パリクチュール校と提携。同校へのファッション留学の道が開かれる。
平成28年2月
全学科文部科学大臣より「職業実践専門課程」として認定される。
昭和15年 第一回卒業式
昭和15年 第一回卒業式
昭和23年 初めてのファッションショー
昭和23年 初めてのファッションショー
昭和34年 パリから招聘したマダム・ソーゼによる立体裁断授業
昭和34年 パリから招聘したマダム・ソーゼによる立体裁断授業

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